時には息抜き

2007年06月19日06:43

 学校までは一本道だから皆が島の真ん中の道を歩いて学校に通う。車は台数も少なかったので生徒達は横一列になって歩く。それでも時々先生が乗るバイクが来た時はモーゼの海が割れるみたいに生徒達の塊が両側に分かれた。

 私達はいつも最後尾の集団を死守していたが、焦りはなかった。
『すこし早いから休んで行っか?』 『うん』
3人は道からそれて畑の脇の土手で風を避けながら日向ぼっこする。
『あったけな〜』 『あぁあ』
『そろそろいくが?』 『ああ』 『いぐでぐねな〜』 『いがねが』
これで相談は成立し、道ではなく山の方へ足を向け小走りに歩き出す。山学校である。

 でもこの時に実行するまでのチェック項目も有る。同級生に会わなかったか?担当の先生に顔を見れなかったか?そして弁当は持ってきたか?の3点。途中まで来たことを見られていては完全犯罪にはならないのだ。そして1日中山や海で遊んだ後は、誰も道を歩いていないのを見計らって山から出て来て何もなかったように『ただいま〜』と家に帰るのでありました。

 でもこれも4年生の途中から給食が始まり出来なくなりました。休んだ生徒の家にクラスの子が給食のパンを配達してくれるので、山学校がばれてしまうのす。しかし、今思い出そうとしても山学校で1日何をしたのか覚えていません。何をしていたんでしょうね?

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私だけ半分だった夏休み

2007年06月17日08:46

img0003.gif 夏休み前に島の診療所に耳を診てもらいに行った年があった。『こりゃあ中耳炎だな。水には入れないよ。海水浴も当分ダメだな』と言われてしまった。待ちに待った夏休みが直ぐそこまできたのに、泳げないのか、、、、、、。

 灼熱の太陽の下から海へドボンと飛び込み、ひんやりした海面に無重力で漂う。息を殺して獲物を狙う、放ったヤスが魚を刺したあの瞬間、心の中でガッツポーズをする。そんな快感が続く夏休みを今年は味わえないのか、、、、。かなりのショックだった。
 泳げない夏休みなんかいっそ来ないほうがいい、毎日雨が続けばいいんだ、いや毎日時化が来て浜に行けなくなればいいんだ。泳げないのを呪い、泳げる人を逆恨みさえしていた。かくして、この呪いが通じたのかこの年は梅雨が長く雨の日が多かった。

 そんな憂鬱な夏休みが半分過ぎた頃に診療所に又行った。『おお大分良くなったな』と先生。もう泳ぐことしかない頭に無い少年は『せっ先生!泳げないんですか?本当に泳いでダメなんですか?』と聞くと。『えっ!全然泳いでなかったの?当分って行ったでしょう』 『ええ〜〜〜〜〜!!!』がっかりするやら安心するやらでヘナヘナとなり椅子から転げ落ちそうになった。

私の貴重な夏休みはそんな言葉の行き違いと誤解で半分消滅してしまったのでしたのですが、あれは惜しかったな〜。

1967年の夏休み (7)

2007年06月16日06:01

sumr_002_s.gif夏休みには朝のラジオ体操と部落ごとの盆舟造りがあった。
 盆舟とはお盆の終わりの精霊送りに使う船。麦ワラで造られているが4、5メートルを越える大物。この船にお盆で供えた線香や供物を乗せ、子供達がそれを沖まで一緒に泳いで送って行くという段取り。沖に流してしまうのだから毎年造らなければならない。
 そしてこの舟を造るのは子供達だけで大人は実質的に手を貸さない。その地区地区の中学生がリーダーとなり(まあ平たく言うとガキ大将がリーダーって事に成るのですが)地域の子供達を取りまとめ竹や麦藁、縛る藁等の材料調達からデザイン・設計・仕上げまで全てする慣わしになっていた。

sumr_002_s.gifしかしどういう訳かそれに参加した記憶が全く無い。ガキ大将が親分だから小学生なんかは文句は言えなかったはず。お咎めを受けた記憶もトラウマも無い。どんな手段と言い訳を使って小中一貫してラジオ体操と盆舟造り逃げ遂せたのか???まるで記憶が無いのです。


1967年の夏休み (6)

2007年06月15日07:02

IMG_15511.jpg天気がいい日は元気に外で遊びたいのが人情と言うか正しい子供の姿。いくら夏休みの宿題がたまっているとは言え、大人しくプリントなんかには向かってられない。増してや毎日続く真夏日は太陽が頭上200メートル位まで近づいたように暑いから、なお更のこと家の中なんかには居られない。
 数十分は我慢してても全て投げ出して海に飛び込みたくなる。その内如何にか成るさと現実逃避の日々を続けるとやはり最後には泣き泣き宿題をする悪夢の1週間が待ち構えている。
 そんな結末を知る親父は出来れば夏休みの最後を泣かないようにと家の隣の大きなタブノキの下に、宿題をする舞台の様なスペースを造ってくれた。家と木の間の日陰の傾斜地に水平に板を並べ、イグサのござを敷きテーブルまで準備してくれるのだ。それも毎年。
 この場所はどれだけ暑い日でも無風の日でも涼しくて快適な環境に仕上げてある。心地よい蝉の声、ひんやりとした床、イグサのほのかな香り。まるで砂漠の中のオアシスのよう。宿題だけに使用するには勿体無くて、チョッとだけとゴロンと横になり、チョッとだけと目を閉じると、肝心の宿題は進まずまた最後の1週間は、、、、。

1967年の夏休み(5)

2007年06月14日06:51

illu03.jpg
時間はあっという間に過ぎて目の前を3時の友福丸が通り過ぎる。長渡に向かう船が視界から消え丁度佐渡島に掛かったあたりで汽笛がボォ〜つと3回鳴る。そして遅れて船が作った横波がざぶんざぶんと浜にたどり着く。

ジリジリと容赦なく3人を照らしていた太陽は、西の山のタブノキの枝の中に隠れ、浜は徐々に日陰に成って行く。いつの間にか蝉の声も油蝉とミンミンゼミからカナカナ(ヒグラシ)にかわっていた。

『ともふぐ来たからかえっか』 『うん』
3人は手早く着替えて、お土産の魚をヤスの先端にぶら下げ、林の中を潜り、田んぼのあぜ道を走り、天旗山の急坂を一気に登り家路に向かう。私は頭を先にしながら。
『ただいま〜さがなとってきたよ〜』 『おおそうがそうが、いがったな、おもしがったが?』 『うん!』

こんな感じの刺激的で開放的で危険で美味く楽しい日を夏休み中毎日続けるのです。

1967年の夏休み (4)

2007年06月13日06:05

浜に持ってゆくのはおにぎりと水だけ。後は遊びながら捕ったのを焼いて食う。枯れ木を集めて火をおこし、突いた魚に串を挿し焚き火の周りに並べる。ウニや鮑は火の中に放り込む。直火で炙って焼きあげた魚やウニは香ばしくて美味い。捕った子も捕らなかった子も平等に分けて食べる。この歳からこんな食べ方をしていたら確実に舌は肥えてしまう。
image02.jpg



1967年の夏休み (3)

2007年06月12日07:42

s_fish.gif3人とも泳ぎは上手ではないけれどもヤスで魚を突くのが好きだ。勘違いして名人だとさえ思っている節が有る。狙うはネウ(アイナメ)この魚はヒットすると引きが強いので釣りでは人気が有るらしいが、海の中ではノンビリとした魚なので狙いやすい。
 タナゴなどは狙いが外れるとあっという間に居なくなってしまうが、このネウはバカにしているのか鈍いのか、打ったヤスが空振りしても遠くまで逃げることもなく数十センチ動いただけでその場に居座る。大体3回くらいはチャンスがあるので大抵は仕留められる魚なのだ。
 ヤスに魚が刺さったら腰に巻きつけた紐の先に有る短い棒を魚のエラに通し、逃げられないようにしてから引っ張って外す。ヤスが貫通し返しが引っかかって外れにくい時は、岩に魚を当てて外す。また逆に完全に刺さらずに抜けそうな場合は岩に押し当てて深く突き刺す。どの方法も誰に教えられる事もなく自分達で研究してあみ出した方法。たとえ仲良しの3人組みでも競争心はあるから多く獲るために、逃げられながら色々考え出すのだ。

魚を見つければヤスで突く。蛸は手で掴む。鮑はヤスの先で剥がす。ウニもヤスで挿して袋にためる。そして泳ぎ疲れたら温まっている岩の上に腹ばいになり休憩するが、目の前には今よりも何十倍も青く輝き透き通る海と、更に真っ青な空があり、鮎川から金華山までのそらには舞台背景用か銭湯の絵にみたいに出来過ぎのダイナミックで鮮やかな入道雲体がいつも鎮座していた。

居眠りをしながら休憩をとり、体が温まったら今度は飛び込み大会。頭から足から背中から色々なアクションと高さで競うのだが、又してもふざけ過ぎて飛び込んだ時に手や足を切ったりし擦り傷や切り傷は絶えない。又してもあの言葉が頭に過ぎる。


1967年の夏休み (2)

2007年06月11日06:15

田んぼ道を歩きながら蛙を見つけるとヤスで突いてイタズラする。大概は相手が逃げてくれると信じてやっているのだが稀に命中する時もあり大慌てしたりする。ヘビを突いてしまった時は『焼いて食おう!』何て意気込んでいたが、焚き火で焼き丸焦げになったそれはおぞましく誰も手を出さず海に捨ててしまった。まあ子供なんてこんなもんである。

田んぼのあぜ道を通り過ぎ、小さな沢をピョンと撥ねるとタブノキの間からタダワキの浜が見え出す。この浜は殆ど誰も来ず、いつ行っても我々3人しか居ないので部外者立ち入り禁止の専用の磯の気分で居るが、毎年夏の後半には決まって仙台の大学生数人がこの浜でキャンプを張ることがあった。『お!あいつら又今年も着たな』『俺達の浜なのに』等と縄張り意識で敵対心をめらめらと燃やしたのだが所詮小学生の子供達は何の手出しも意見も出来ずただ遠目ににらめ付ける事しか出来なかった。

sumr_002_s.gif崖を駆け下り浜に下りる。他には誰もいないのですっぽんぽんになり海パンに着替える。準備体操もなしに水中眼鏡をかぶりヤスを抱え海に飛び込む。早く海に入りたくてしょうがないのだ。この時闇雲に走って海に入るので貝で足を切ったり岩に足をぶつけて怪我をしたりする。お互いに母親の『怪我を、、、』の言葉が頭を過ぎる。




1967年の夏休み (1)

2007年06月10日13:59

himawari.jpg朝からかぁ〜っとした夏空。中森では油蝉とミンミンがワンワンと鳴いている。『かあちゃん、行ってくっから〜』 『怪我すんなよ、3時の友福来たら帰れよ!』 『うん』 肩にヤスを担ぎつまかけしながらサンダルを履き友達の家に走る。

雨が降らずパサパサに乾いた畑の小道を、土ぼこりを上げながら走る。本人は気づいていないのだが、どうも急いで走っている時は頭を先にした前傾姿勢で走っているのらしく、そのせいで躓いて転んだ時は手のひらかもしくは頭から真っ先に着地するのでこの2箇所の部位での怪我が多かった。或る時はこの畑を下った場所で躓き、側溝に激突し頭を5針縫ったことがあった。側溝の中に先端が尖った岩が待ち構えていて大怪我になったが、それでも幸いにも頭の鉢は割らなかったが、坊主頭を麻酔無しで縫ったのは痛かった。そんな前科も有るから怪我をするなと毎度毎度言われても仕方がないのだ。

『いぐべ〜』 『お〜いまいぐ』 『3時の友福来たら帰れよ!』 何処の親も同じ事を言う。3人はヤスを担ぎ天旗山を越え小長渡の脇を通り田んぼのあぜ道を抜けていつもの浜に向かう。


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