遠い昔の網地浜の玄関

2008年07月07日07:06

ajikou.jpgこれもまたかなり古い写真ですが、網地港の部分です。防波堤は見当たりません。

中央に有るのが、熊野神社の鎮守の杜。右側奥にある建物が大棒網の番屋。左側の二階屋が恐らく今の逸見商店。更に手前がはしもとの屋根なのでしょう。

これを見ても白浜から網地の港に続く、海沿いの道は有りません。それでも潮が引いているときは波打ち際を近道して歩いたらしいですが、波が強いときや潮が差しているときは、それも出来ないのでやむなく山の上の道を遠回りして歩いたのだそうです。

桟橋からの海伝いの道、そんな昔の風景を想像しながら歩いたら、海水浴場まで道のりも近くなるのでは?

その昔は海だった道

2008年07月06日06:45

この写真は網地白浜のかなり昔のもの。中央に岬のように写っているのが、今の丸山岸壁の丸山の部分。

何処の場所かといえば、網地白浜の一番南側の端のこんもりとした山の部分。
 海水浴シーズンに網地島ラインがレンタルグッツの店を置く建物のあの背の部分に有る小山の場所です。

あそこはその昔、こんな感じに海だったのですね。ですから当時は白浜から船着場に続く、海沿いの道は無かったらしいです。それと白浜も画像の左側まで長く広く伸びているのがわかりますが、かなり貴重な写真です。

荒療治のつづき

2008年05月25日15:40

船まで私を連れて来てくれた連中は私を船に置き去りにし、既に岸にたどり付いて、大はしゃぎししていた。私を見つけると大笑いしながら手招きをしているた。恐らく頼んでも迎えに来てくれそうにはない。いや恐らくではなくその可能性は皆無に近い、120%ない。子供の残酷さと言うのはこんなモノである。さあ〜困ったぞ。
(人生最初にして最大の危機だ)

船が漁に出るのを待つ手も有るが、明日出る保証は無い。出るまで待ったら親が心配するし。何か浮きになる様なのを探して、それに掴まって岸まで行き着く手もあるが、、、見渡しても何も無い。元より無断で船に上がったのに、更に無断で拝借するのは、主義ではないし、、、、。

さて困ったぞ〜。あんな連中を信じた自分を恥じながら、後悔が募る、津々募る。夏の日差しがガンガン照りつけ、船の甲板からの輻射熱も加勢して喉がカラカラに渇いた。

頑張って泳いだら行き着けるかな〜?多分駄目だろうな〜駄目だったらどうなるのかな〜いや意外と行けるかも・・・・いや・・・・いや・・・・・

堂々巡りして悩んだ末『陸に一番近い船の舳先から飛び込む。入水角度が緩く、上手く行けば5メートルは距離が稼げる。一生懸命泳げば10メートルは泳げるはず。後は懸命に泳ぐだけ。力の限り泳ごう。もし溺れても、PTAの監視が見つけてくれて、多分助けてくれるだろう。何たって島のお父さんやお母さんだから、泳ぎは上手なはずだ』と腹をくくり、陸に大きく手を振って『おお〜い!』と雄叫びを上げて飛び込んだ。泳ぎが下手なくせに飛込みには若干自信はあった。

懸命に泳いだ。死ぬ気で泳いだ。どれ程時間が掛かったかは覚えてなかったが、意外と短い時間だったような気もする。泳ぎきって地面に足が触れた瞬間、安心してヘタヘタトと座り込んだ。腰砕けである。

鼻水ダラダラ、海水パンツが飛び込んだ拍子でズレ落ち、見た目は無様そのもの。でも少しばかりだが泳げる自信を掴んだ瞬間だった。

その後あの忌まわしきあの出来事で彼らを恨んだ事も有ったが、程なくしてそれも懐かしいエピソードに変わり、今では彼らの名前も顔も忘れてしまっている。

更にこの時の小さな手ごたえで自信をつけた私は、無謀にもこの数年後に、殺されそうになりながらも、溺れた会社の同僚を助ける事になるのだが、人生は何が災いにつながるのか、何が功を奏するのかわからないものである。  

荒療治

2008年05月19日15:50

kobitawatasino.jpg
(小長渡には当時と同じ場所に、今でも漁船がかけてある↑)

 同級生の殆どは漁師の家の子達なので、殆どの子が小さい頃から泳げたようだったが、農家の子である私は小学の4年頃まで泳げなかった。
 そして私の友達の中にも漁師の家の子達もいたが、私に覚えようとする気が無かったのか、教えるのが下手だったのか中々上達しなかった。

 そんな具合でも磯遊びは好きなので、夏休みには小長渡やただわきの浜へよく通った。小長渡の浜はPTAが監視していて遊泳が許可された浜なので、学校からは必ずそこで泳ぐように言われていた。基本的には問題はないのだが、若干問題なのはそこが西小路の上級生の縄張りだった事である。西小路には聞こえよく表現をすると元気で活発な上級生が何人もいたのだ。

 あの日は運が悪かった。私達は例のグループと距離を保って遊んではいたが、向こうからやって来て、泳ぎが上手でないという理由でいじめの攻撃にあってしまったのである。髪をつかまれ沈められ、ガブガブ海水を飲まされた。死にそうになったと同時に海水で腹がガブガブである。

 しかしその後、彼等は急に手の平を返して柔和で優しい対応となり、今までの事を謝って来た。そして更に彼らは沖の船まで泳いで行こうと提案してきのだ。泳げないから初めは断ったのだが、皆で手を引いて行くからと半ば強引にそれが決まってしまった。何歳も上の上級生には中々断れない。『俺達が付いているから、大丈夫大丈夫!』と言う言葉を鵜呑みにしてして、事は進んでしまった。

 私は急に優しくなった、件の連中に各々手を引かれながら、沖に停泊している大黒丸まで連れて行ってもらった。無事に着き、そして親切にも船に上げて貰って、暫しの時間今ままでの諍いが嘘だったかのように楽しい時間をすごしたのだ。
 沖に停泊している船まで行くことは、泳ぎが未熟な者にとっては、画期的な出来事だった。他人の手は借りてはいたが、その達成感に浸り、甲板に寝転んで蒼く澄んだ夏の空を眺めた。ここまでは最高の気分だった。

寝転んだ私の耳に微かな水の音。ん??がばっと起きて船を見回すと・・・・誰〜も居ない。しまった!罠だ。沖の船に取り残されたのである。 続く

舟遊びの続編 更に不運が、、

2008年05月12日08:09

水没を免れた小舟は岸を背にして、再び進んだ。佐渡島を越えて、小長渡の小湾に入った時、『漕いでみるか?』と船頭役の同級生に誘われた。一旦断ったのだが、簡単なんだからと皆に勧められるので、その気になって代わってやってみたら意外と簡単だった。

で曲がる時はどうするの?って聞いたら、こうやるんだよと言って、操作を見せてくれた。ふむふむ。櫓は前後に押したり引いたりするように交互に漕ぐのだが、片方にだけ漕げば、曲がるという単純な操作なのだ。更に小さい回転半径で曲がりたい時はそのストロークを強く長くすれば、急激に曲がれるだ。

しかし、運が悪い時は絶妙のタイミングでアンラッキーが重なる。

丁度この曲がり方を伝授してもらっている時、3時半の友福丸が小長渡の沖を通過したのだ。
 通過後暫らくしてその横波が数波小舟の脇っ腹に到達したのだが、不運にも舟は岸の近いところに居たので、水深が浅くなった部分で急激にエネルギーを増した波は、予想以上に成長し、小舟を簡単に裏返してしまったのだ。

ズボンびしゃびしゃどころではなく、着衣水泳大会である。それも水温が低い春先の。更に個人的に不運が加算された条件は、殆ど泳げなかった事。着衣水泳は危険なのに、更に泳げないのだ。皆は舟から投げ出されても、笑ってははしゃいで居たけれど、まだ泳げを覚えていない農家の子にとっては、生きた心地がしなかった。

この後全員で舟を起こし、再び乗り込んで水をかき出したまでは覚えているのだが、しかしそれ以降の記憶が全くない。どのコースで帰ってきたのか、どうやって舟を陸戻したのか、、、、。家に帰ってからずぶ濡れを怒られた記憶もないし、学校に言って先生から注意された記憶も無い。
 でも唯一覚えているのは『今日のことは絶対内緒だからな!』っていう全員での約束。私にとっては危険な遊びのジャンルに見えたのですが、漁師の子達にとっては想定内の出来事だったのでしょうね。
imgkobitawatasi.jpg
転覆の現場は小長渡浜とただわきの浜の間で、写真で言うと左側の岩場が少し出た部分のすぐ前。今でもここを見るたびに必ずあの日の事を思い出しますが、でも不思議なのは悪夢として甦るのではなく、懐かしく感じること。不思議ですね。あっ!ここで書いちゃいましたが、あの約束は、もう時効ですよね。  完!

長閑な舟遊びが一変し、、

2008年05月10日08:12

cut2.gif櫂(カイ)は三年、櫓8ロ)は三月と言いますが、櫓は確かに操作が簡単ですから、まっすぐ進むだけなら15分もしない内に出来るようになります。かたや三年掛かるという櫂は色々な技があるので、やはり難しいですが、カヤックのスカリングが出来るようになると、概ね動作原理は同じですから1年掛からずとも出来るかもしれませんね。

とはいえ櫂も櫓も今は殆ど見なくなったエンジンなしの木造船で使う道具ですから、覚えようとしても練習の機会も中々有りませんが、、、。



あれは私が小学生の頃でした。学校が終わった放課後に、西小路の漁師の家の友達数人に誘われて、農家の私が舟遊びに付いて行きました。(言うまでも無いですが、舟遊びと言っても綺麗な御姉さん方やお酒が出る訳ではなく、純粋な海での活動的な遊びです)何はともあれ、何にも知らない私は、完璧にお客様状態でした。

てい浜の砂利の浜から木造船を滑り降ろし、舟が浮かんだと同時に、子供たちが一斉に乗り込む。すかさず漁師の子は慣れた手付きで櫓を漕いだ。櫓は船にこすれてギーギーと音を立てる。それと同時に小さな船が左右に傾く。
 まあイメージ的には「矢切の渡し」ののどかな雰囲気。島の子供らしい遊びです。(恐らく親の了解は得てなかったのでしょう)

でもこの長閑さもつかの間で、船頭役の『じょろみがね〜!!』の一言で状況は一変した。その声が上がると、他の同級生も焦った様子でじょろみとやらを探し始めた。『お前も探せ!』と言われるのだが、如何せんそのじょろみとやらが何だか理解できないので協力出来ないので、皆さんの作業に邪魔に成らないように移動するだけだった。

ふと気づくと船の中の水が多くなって来たようなので、その変化を伝えると、『だからじょろみが抜けて、水が入って来てるだってば!!』と怒られてしまった。

はは〜ん、じょろみと言うのは風呂の底に付いている、栓の様な物なのだな、とここに来て初めて気づき、遅ればせながら焦る。(正しく板子1枚下は地獄を実写版にした感)
 こりゃあ大変と自分も探し始めたのですが、そもそもどんな形と大きさなのか判らないので、役立たず兼邪魔者。下手なコントのようです。

全員で右往左往しながら捜索した結果、幸運にもじょろみは見つかり、沈没は免れたものの、靴とズボンはびしょびしょ。
 ドロ舟の様に浸水してしまったので、交代交代で溜まってしまった海水を汲み上げながらも、しかし大盛り上がり。そして子供たちはこれにも懲りず更に沖を目指したのでありました。   続く

雷神社の祭りの写真

2008年05月09日09:07

 我が家の本業はでんき屋です。デンキ屋もその仕事内容によって、電気だったり電器にしたり電機、デンキなどを使い分けて表記しますが、我が家は以前に自営で使っていた時と同じ表記で電機を使っています。

 実際の業種内容は何でも屋みたいな感じですが、年間収入の半分以上はこれに頼っています。(是非ご利用下さい)ただ過疎化による人口減少を考えると他の収入源を創らなければならないのですが、中々順調には行きませんね。

 それはさておき、修理やら販売やらで島中のお宅を訪問しますが、時折訪問したお宅で珍しい写真が目に入った時は、借りたり、写させてもらったりしています。
前の浜
桟橋に繋がった友福丸で年号が判りそうですが、ギャラリーのファッションを見ても適度に昔なのが判ります。海に浮かんでいる手前の木造船にも櫓が付いているので、相当前の写真のようですね。

根組の浜
根組の浜の写真。手前も木造船。大網の番屋はありますが、桟橋も防波堤も作られて無い頃の、祭りの日のショット。背景の松が生い茂っているのも印象的。根組の浜も昔は長い長い砂浜でした。

ドワメキ崎周辺
ドワメキ崎上空からの写真。前の浜の桟橋に繋がれた船の数や、畑に手が加えられている状況や、とちの木の保養所が写っているので、10〜5年前ほどの写真のよう。

クリックすると大きな画像になりますので、顔見知りや心当たりの家や畑を探してみてください。

ツェッペリンが網地島の

2007年03月09日07:40

少し前に検索で大昔の航空写真を発見しました。。http://www.shipboard.info/blog/archives/2007/01/post_903.html
年号は1929年、昭和の4年です。この画像はかの有名なツェッペリンが気球で世界一周をした時のアルバムですが、写真を良く見ると浜の近くから島の中央まで田畑が広がっているのが見えます島の年表と見比べながらハハァ〜ンと妙に感心してしまいました。http://ajisime.web.fc2.com/rekisi/nenpyou.htm

村の鎮守の神様の、、、

2006年04月30日21:22

2006-04-23d.jpg
<その昔> 私が小学生だった頃、宵祭りは雷神社の境内で行われ、演芸会も1日だけでは終わらなかった。舞台では綺麗に着飾ったお姉さん方が、華麗であったり妖艶であったりの歌や舞が繰り広げられ、ご祝儀や御ひねりが舞台の床が見えなくなるくらいに飛んでいた。
 中には舞台に着地出来なかったおひねりを闇に乗じて頂き、傍らに並んだ出店ですぐさま買い物をする、ちゃっかり物の子供も少なからずいた。何時もなら静かな夜の島も、大音響の大人の音楽と色々に光り輝く灯り、物珍しい出店等など全てが子供たちの好奇心を大いにくすぐってくれた。網地島の税収が牡鹿町を支えていたと言われるほど、人もふところも豊かな時代だった。




2006-04-23a.jpg
<4月23日前の浜>その昔は遠洋漁業華やかりし頃で若い衆は皆船に乗っていて島にはいないから、神輿の担ぎ手は中学3年生なった生徒がすることになっていた。中にはそれを楽しみにしていた子もいたが、私はその歳に近づくほどに、子供の頃の楽しい祭りのイメージは消え去り、悪夢へのカウントダウンになっていた。
 何十年と時は過ぎほとぼりが冷めたと思ってと言う訳ではないけれど、島にUターンしたら中学の時に逃げとおせたと思っていた神輿の担ぎ手役に直ぐにお声が掛かり、2回ほど担ぐことに成ってしまった。ついうっかり首をたてに振ってしまったのだ。過ちとは言え腰痛持ちがすることではない重量である事を後で実感したが、これは正しく後の祭り。



2006-04-23b.jpg
<4月23日キチマツ井戸付近> 神輿が長渡中の細い路地を練り歩くと、子供たちはそれを追いかけながら逃げながら大騒ぎで付いて回る。賑やかな何の変哲もない風に見える祭りの光景。でも神輿の担ぎ手はその殆どが助っ人で島に来てくれた若者であったり、はしゃぐ子供たちの殆どはいつも島には居ない子達ばかり。巷の噂では宵祭りの演芸会も島民合同の運動会も無くなるとか。神輿も今年は何とか担ぎ手の都合がついたようですが、来年は、、、、。



 

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夫婦子供4人の島の生活。良い事からそうでないことまで、等身大の島生活を、ユーモアと小さなチクリ、時に反則ギリギリのローブローを限界に書いてゆきます。

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