これからの網地島と網小医院の行方は・・

 03,2009 14:50
11月より網小医院の診療体制が変わりました。
週によっての診療時間の変更もありますが、通常の予定は、月曜火曜は休診・水曜は安田先生・木曜~土曜はとちの木病院からの応援で診療を行っております。(詳しい経緯は下記の新聞記事の引用をご覧ください)



読売オンラインからの引用
離島10年…最後の診療
宮城…人口500人、ただ1人の常勤医診察中も笑顔を絶やさない網小医院の院長・安田敏明さん(右)(7月、宮城県石巻市の網地島で宮城県石巻市の牡鹿半島の南端に浮かぶ人口約500人の離島・網地(あじ)島。唯一の病院、網小(あみしょう)医院を10年間、一人で守ってきた安田敏明院長(50)が30日、院長としての最後の診療を終えた。
先生が行ってしまうので、血圧が上がったよ」。この日は、いつものように約30人のお年寄りが診察を受けたが、笑いの後には沈黙が続いた。

 医院は、医療法人陽気会「とちの木病院」(栃木県栃木市)を運営する早乙女勇理事長が1999年9月に開設した。不登校だった次男が病院の保養所がある島の中学に通い、無事に高校に進学。「島に恩返しがしたい」と廃校の網長小校舎を病院にした。
 常勤医として選ばれたのが、会社員から医師に転身した安田院長だった。島民は「年寄りの相談に気さくに応じてくれる神様みたいな存在」と信頼を寄せる。
 安田院長は、高齢の知人の医師から手伝いを頼まれ、家族が住む仙台市への転居を決断した。「みんな残ってほしいと言いたいけど、仕方がない」。小野喜代男区長(71)はそう話す。

 網小医院での診療は、とちの木病院が医師数人を交代で派遣。安田院長も週1回往診を続ける。「2、3年で辞めると思っていたが、10年続いた。人情豊かな島の人たちのおかげ」と安田院長。9月の開院10周年記念式典。島民は感謝状という「卒業証書」を贈った。(2009年10月31日 読売新聞)




読売新聞からの引用
石巻市の牡鹿半島の南端に浮かぶ人口約500人の離島・網地(あじ)島。唯一の病院、網小(あみしょう)医院を10年間一人で守ってきた安田敏明院長(50)が30日、院長として最後の診療をした。島を離れることになるが、互いを思いやる医師と島民との絆(きずな)は、固く深い。(高橋功)

 30日は約30人のお年寄りが診察を受けた。退職を惜しむように、会話はいつもより長い。「先生が行ってしまうので、血圧が上がったよ」。笑いの輪が広がったが、すぐに島のお年寄りの複雑な胸の内をのぞかせる沈黙が続いた。
 9月5日、開院10周年を記念する式典が開かれ、全島民の半数を超す約300人が詰めかけた。「病院があることで、どんなに心強く、安心できたか分からない」と島民代表。感謝状を贈られた安田院長は「私にとっての卒業証書。皆さんの病院をこれからも支えて下さい」とあいさつ、一段と大きな拍手が贈られた。

 網小医院は、医療法人陽気会「とちの木病院」(栃木県栃木市)を運営する早乙女勇理事長が1999年9月に開業した。不登校だった次男が、同病院の保養所がある島の中学に通ったことで、無事に高校進学を果たした。「島に恩返しがしたい」と、廃校の網長小校舎を病院にし、「網小医院」と命名した。
 常勤医に選ばれたのが、会社員から医師に転身し、とちの木病院で実習した安田院長。3年間、ネパールで医師をした後に勤務先を探していた最中で、どんな島かも聞かずに快諾した。

 医院は、入院用のベッド19床と手術室がある。レントゲンやCT(コンピューター断層撮影装置)を備え、撮影画像をとちの木病院に転送、専門医の助言も受けられる。島民の約7割を65歳以上が占め、高齢化が進む島の医療を担ってきた。
 待合室は、歴代の校長らの写真約50枚が掲げられる校長室。「あら、しばらく。どうしたの」。校舎の半分は高齢者福祉アパート、隣の公民館はデイサービスセンターで、診察を待つお年寄りの社交場と化している。
 安田院長は、必ず家族の様子などを聞いてから、聴診器を胸にあてる。島民は「年寄りの相談にも気さくに応じてくれる神様みたいな存在」(70歳代の男性)と絶大な信頼を寄せ、「病院があるから安心して島に住める」と口をそろえる。

 だが、安田院長は、家族が住む仙台市内に転居する決断を下した。高齢の知人の医師から手伝いを頼まれたためだ。医院の診療は、とちの木病院が医師数人を交代で派遣して続ける。
 7月中旬、説明会が開かれたが、集まった約80人から言葉はなかった。小野喜代男区長(71)は「みんな残ってほしいと言いたいけど、『仕方がない』と思っている。言葉を押し殺した」。「2、3年で辞めると思っていたが、10年続いた。人情豊かな島の人たちのおかげ」と安田院長。島を離れても、週1回往診することにした。

「きっぱり辞めることもできるが、自分は自分。それが私のやり方」とさりげない。島の人々から贈られた「永久島民証」には島の心が凝縮されている。


網小医院は単に病院と言う存在にとどまらず、人口流出の砦であり、移住決意の最終的決断の引き金でもあるので、規模縮小以降の体制によっては大きく島に影響することは必須です。
 とちの木本院では早くから交代の医師を募集していたのですが、困難を極めこのたびの規模縮小のシフトに至った次第でした。引き続き本院では網小医院の医師を募集しておりますので、心当たりの方、若しくは我こそ!と言う方は是非ともご連絡をお願いいたします!
http://www.tochinoki-hospital.or.jp/05_else/01_staff.html
関連記事

Comment 0

Latest Posts