天国と地獄・楽園とパラダイス

 13,2011 17:42
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数週間前、烏が激しく泣いていた。夜明けや朝方、夜夜中も騒いでいた。田舎の年齢層からすると信心深い人が多いので気が気でなかった感じ。大量の烏が群れになって空を被う。絶え間なく鳴く。縁起が悪いよりも天変地異でも来るのかとも考え出してしまう。お年寄りの挨拶は『寒いゴダネ~』 『んだがら~烏鳴き悪いがらつけらいよ~』と言う感じ。戦々恐々の言葉はこんな条件にはぴったり合った。

1984年、原田知世が主演した天国に一番近い島という映画があった。亡くなった父をあの世から連れ戻そうと、天国に一番近いという地を尋ねて、ニューカレドニアの島に行く、という様な話である。 この映画の題名を文字ったのか否かは定かではないが、島に移住してきた某方が『極楽に一番近い島』と言う題での文章をネットで読んだ事がある。(何かの本に掲載されたのがネットに乗っていたのだが、さっき見てみようとしていたら、リンクは消えていたが)

天国と極楽。似ている様だが若干異なる。天国はキリスト教的で極楽は仏教的。また死後三途の川を越えて行ったり、閻魔様の裁きに遭うのは、キリスト教の慣例や風習?にはない。ただどちらにしてもこの世から見たあの世のの話。言い伝えられては来ているが、真実かどうかは定かではない。
 臨死体験で森永キャラメルのような天使に囲まれてパラダイスに行ったとか、三途の川原を渡ろうとしたら、先に亡くなった誰々さんに『未だ来るのは早いから帰れ』と言われて戻って来た、とか言う話もあるがどちらも以前に耳にしていた先行情報からのイメージが原因以外の何者でもない。

永遠の命を乞う思想・欲望・考えもあるが、老体に鞭打って永遠に生きるのは地獄の苦しみ。たとえ五体満足、健康で金の心配も無く、毎日美味いもの食って、あははおほほと笑いつける生活だとしても、永遠は長すぎる。いっそのこと「天国は無い タダ空があるだけ」といわれた方が気が楽である。

網地島では高齢者が多いので、お坊さんや葬儀やさんにお世話に成る機会が多い。人間の寿命は多く見積もっても150歳。大概の場合は100歳の壁は中々越えられない。歳の多い順番に亡くなるのは理想的な事。順番が逆になる事くらい不幸な事はないとは良く耳にするセリフ。とすると高齢者が多い地は、幸せな生き方をした人が多く住んでいる地ということになる。と言う事は島の人は皆幸せな人という事になる!かもしれない。(その論法だけで見ればですが)

田舎ではプライバシーが無い。適度に縛られ適度に我がままが通せれば楽園であるが、郷に入っては郷に従えばっかりを信奉していると地獄にさえなる。何も無いのが不便と思うか、金も使わないし、数多くの商品の中から選ぶ煩わしさや、溢れる贅沢に誘惑される苦悩が無いと思えば、何も無いのも楽チンになる。人との深い繋がりを好む人も居るが、物事には程度や限度、マナーというのがある。

田舎暮らし至上主義。自給自足生活万歳!氾濫する情報に真実を見出すのは難しい。楽園と思っていたのが幻想に終わるケースは少なくない。三途の川を渡って極楽へ行った人は二度と戻れないが、楽園と呼ばれた地から帰ってきた人は存在する。真実は自分で確かめるしかない。
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