長そうなトンネル でも出口はある

 04,2011 19:51
震災関連の最新情報は網地島研究所のこちらのページをご覧下さい。


震災後元網小医院の院長をしていた安田医師が、牡鹿半島に点在する集落を数日掛けくまなくまわった。半島の小湾に点在する集落はどこに行っても津波の被害が大きく、壊滅的な状態だったらしい。

最後に降り立った網地島の光景に安田医師は驚いた。近隣の市町村が大きなダメージを受け、多くの犠牲者が出たにもかかわらず、網地島はそれに比べると殆ど地震や津波のダメージが無かったに等しいほど、別天地を思わせる家並みや島民の暮らしがそっくり残っていたためだ。まるであの巨大地震の前の時間にタイムスリップしたかそれとも、今まで見てきた事が幻だったのか、とも思えたとか。

網地島は昔から災害に強い場所と言われて来た。過去のチリ地震津波でも、被害は少なく、度重なる地震でも津波でも被害が殆どなかった。地震については島は土の層が薄く岩盤の上に直接構造物がのっている状態なので、揺れが少ない。津波も海底の形状や津波が通り抜けてゆく方向に島があり、集落の場所や家屋が建っている場所も幸いしている。崩れる土手や山も無く、氾濫する川もない。と言う事で総じて災害に強い場所の神話が確立してきたと思われる。

とは言え今回の震災では海岸に近い部分の家々は少なからず津波の影響を受け、銀鮭養殖も定置網も全滅。多くの小船も失われ、更に島が1メートル以上沈下し、海藻類は海面の下に隠れたまま。干潮になっても海面は以前の満潮の高さ。漁業全般の再開はかなり難しい。

殆どの住民が避難所から自宅に戻って生活しているが、ライフラインが全て復旧した訳ではないので、平常に戻ったわけではない。一見何も起きなかったように見えなくも無いが、ある意味何も変わっていない。

電気は発電機により1日10時間使えるようになったが、海底のケーブルは津波により破壊され、復旧まで早くて半年~1年の月日が掛かる予想。

水道も海底でパイプが破損しているので、復旧の見通しは全く立っていない。飲料水は災害物資で配給されるが、洗い水には使う事が出来ないので、井戸の水を汲んで使う事になる。幸いにも島では井戸も多く水が豊富だが、しかし高齢者が井戸の水を汲み、坂道を押して何回も井戸と家を往復するのはかなり困難(否無理)。高齢や健康上の理由で、使い水の汲み置きが困難な家庭には、災害対策本部で水を配達しているが、これも水道が復旧するまで続く。

電気がつくようになったので、井戸から水を汲んで、灯油の風呂釜で風呂に入れる様になった家も多いが、給湯式のボイラーの風呂の場合は断水しているので、断水時の安全装置が働き動かない場合が殆ど。断水を検知する圧力センサーを工夫し、エラーを解除する事が出来るケースも有るが、出来ないタイプもある。追い炊きが出来ないタイプの家では20日以上経過しているのに全く風呂に入れないと言う家庭も。半年先、否1年先までどうして行くかは大きな課題。

電話は早くて4月末ごろの予定。漁協の信用業務の早く再開できない。電話が来ないと郵便局のオンラインが使えず、郵便の業務が全く出来ない。住民の多くの年金支給に影響が出る。(まあ現金があっても何の役にも立たないのだが)

網地島ラインの定期船は1日1往復。買い物に出かけても日帰りは出来ない。運行しているマーメードは車を積めるフェリーだが、桟橋の状況から車の積み下ろしが出来ない。生鮮食料品を移動販売していた「野村青果」さんも津波の被害に遭われて再会は難しいそう。

長期化する自宅型避難生活。食糧難も1年先まで続く、日々の食料品は救援物資に頼るか、宅急便に頼るかになるが、今のところ宅急便は再開していない。ライフラインが完全に戻るまでは、かなりの月日を要するのは確実。

家が無いわけではない。着替えも着る物も無いわけではないが、高齢者が多くを占める島が食糧難のまま昭和初期の文化生活にタイムスリップしてしまったようなものなのだ。地震後のストレスで痴呆が進んだケースや病状の悪化など、家並みだけ見ると以前と同じ様な風景に見え、何も無かったようにさえ見えるが山積する課題は多い。

しかし長そうなトンネルだが 出口が無いわけではない。そう思う事にしよう。
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Comment 2

2011.04.05
Tue
23:32

ソラ #/p1nTf8Q

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> しかし長そうなトンネルだが 出口が無いわけではない。

その通りですね。
嘆いてみても、笑っていても、出口までの時間は変わりなく同じようです。
「今できることから」を頑張ってみます。

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2011.04.05
Tue
12:25

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