時間が止まった空間

 09,2011 02:46
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行ってみたいと思いながら中々行けなかった保育園に震災後初めて足を運んでみました。保育園が建っていた場所は周囲よりやや高い場所なので建物自体は残っていましたがかなりの被害で、お兄ちゃんやろっこの年長の部屋、きりんの部屋は海側の壁がすっかり無くなり、部屋はガランとして何も無く、部屋に有っただろう本や道具類は押し流されて、部屋の奥の押入れの中にギシギシに詰め込まれていました。
 そしてこの部屋から先に進んだと思われる水の流れは、子供達がいつも昼寝をするホールに向かった様で、流れ出した水でホールの壁が破壊され、津波の物凄さを物語っていました。

じゃい丸のゼロ歳児ひよこ組に行ってみると、壁などは壊れていませんでしたが、倒れた棚や道具類が散乱し足の踏み場も無い状態。ふと見ると部屋の真ん中にじゃい丸のリュックがポツンとあるのが目に入りました。部屋の中に入ってみると、更にその脇に自由帳と12色のペン。他に名前が書いている物が何も無いのに、じゃいのだけが探してくれるのを待っていたような感じでした。
 リュックの中を開けてみると、卒園遠足に持っていった弁当のケースがそのまま。お弁当箱を開けてみると完食で中は空っぽ。でもデザートの苺のへたがポツンとひとつ。その辺に捨てずに中に入れたんですね。 
 リュックの中には連絡帳も残っていて、あの日の楽しかった遠足の様子が書かれていました。多分子供達が寝ている時に先生が書いてリュックに入れたのでしょうが、この直後あたりにあの地震が起きたのでしょう。

当日は卒園の記念の遠足。お弁当を食べて保育所に戻り昼寝。遠足だったのでいつもより1時間ほど遅れて入りましたがそこへあの地震。
 昼寝の子供達は先生に起こされ避難を始める。先生は子供達の靴を全て外に放り出し、誰のでも良いから、右でも左でも構わず履く様に大声で伝えた。幸いにも昼寝が遅く始まっていたので、昼寝のパジャマに替えずに外着で昼寝に入ったので着替えるロスタイムもなく直ぐに外に出られた。ゼロ歳児のクラスはパジャマ姿だったが先生が子供達を抱えて避難。着替えたり靴を履かせたりしなかったので、こちらも直ぐに外に出られた。
 
先生方の車で安全な場所に移動しようかとしたが、車が停めてある駐車場は両脇の家の屋根から瓦がバラバラと振り落ちて近づけそうも無く、全員徒歩で移動。保育所の後ろのやや高めの場所に移動したが、ここも危険と判断し更に高い場所に進もうとしたところへ、父兄の運転する軽トラ。荷台へぎゅうぎゅうに子供達を乗せて牡鹿の役場へ移動。着いて間もなく津波は役場の足元まで襲い正しく間一髪のタイミングで全員無事助かった。

この後子供達は牡鹿の役場で1夜を過ごし、津波で船で迎えに行けない私達は、島の知り合いの高台の家で1夜を過ごしました。あても無くただただ無事を信じる夜が長かったこと長かったこと。

次の日、船外機付きの漁船を頼んで子供達を捜しに鮎川に向かったけれども、強い西風と風浪、絶え間なく繰り返す津波、行く手を阻む波間の瓦礫・破壊された船・漂う養殖の浮きや網を避けながらの航行。この様な状態で子供達を捜しても乗せて帰れるかと不安になったが、天候は次第に回復し帰りも偶然に久丸のチャーターに乗ることが出来た。

それにしてもあの日、午前中や遠足の帰り道に地震が起きていたら、着替えをしていたら、保育所の裏の場所に居たら、父兄の軽トラが来なかったら、役場に向かう途中で津波に襲われたら、船がこなかったら・・・・正面玄関の止まったままの時計を見ながら、様々思いをめぐらしました。

当時のことはあまり振り返りたくはないのですが重なった幸運に加え、的確な判断で避難誘導し子供達を救ってくれた先生方や父兄の方、また他の色々な方への感謝の意味をこめて書き記しました。
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